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#薬堂

伊万里 羊歯文 半筒そば猪口

在庫なし
焼継ぎで直された、羊歯文様の半筒のそば猪口です。
1926(大正15/昭和元)年に柳宗悦が書いた『日本民藝美術館設立趣意書』の表紙に掲載されたものと同手です。
そのそば猪口は、青山二郎の旧蔵で現在では日本民藝館に収蔵されています。
柳宗悦は民藝運動の中で「用の美」として様々な日本の手仕事の工芸品に美を見いだしましたが、そば猪口もその一つでした。

そば猪口は17世紀前半に向付として生まれたと言われていますが、半筒の形は鈴木春信の「笠森おせん」など、いくつかの浮世絵に飲み物を飲む器として描かれています。

おそらく1780-1810年代頃に作られたもので、少し小さめで発色の良い呉須の絵付けです。
外は羊歯文、内側は簡略化された四方襷でしょうか、見込み黒い染みのような文様、高台には2本の圏線と2つの線の文様が入っています。
簡略化された文様ですが、他の同手のものを見ても省略せずにほとんど同じ文様が描いてあるのが面白いですね。

大きな焼継で直された割れがありますが、焼継ぎはかなり堅牢なので水漏れもありませんし、飲み物を飲むのに十分使えると思います。
高台には赤い文字が描かれており、見込みにも剥がれていますが文字の跡が光の加減でうっすら見えます

焼継ぎ(ガラス継ぎ)の技法で直されていますが、
焼継ぎは、江戸時代中期の終わり頃から広まった割れた陶磁器の修復技法で、白玉粉と呼ばれる鉛ガラスを火鉢で溶かして器をくっつけます。
焼継ぎは色も目立たず、値も安く、直す時間もかからなかっため全国に広がりました。

江戸では焼継ぎをする焼継ぎ屋が、よく行商をしていたそうです。
江戸後期に入ってからは、焼継ぎ屋が流行って新しい焼き物が売れずに瀬戸物屋が困ったというようなことがあったようです。
明治になると陶磁器の値段が安くなって直しをしなくなり、焼継ぎの技法も廃れて、今ではその技法は正確に再現できないそうです。

高台と見込み(見込みのものは色が剥がれています)に朱色で文字が書かれおり、修理した焼継ぎ屋のサインだと言われています。

Φ66 x H56 mm(計測は誤差がある場合があります。)

上にも書いたように、大きな割れや欠けがあり焼継ぎで直されています。
見込みは修理の時にできたのか、取れないざらつきがあります。

状態の詳細は写真をご確認ください。
カテゴリー:
商品の状態:
全体的に状態が悪い
製作地域:
日本
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3日以内
薬堂
日本の江戸から昭和初期にかけての、陶磁器、ガラス、薬のパッケージなどを中心に出品しています。
東京/有楽町の大江戸骨董市にもほぼ毎回出店しています。
古物商許可証:東京都公安委員会 第305492117689号