#薬堂

初期伊万里 花文 皿

28,000 税込み
焼継ぎ(ガラス継ぎ)で直された、初期伊万里のお皿です。

芙蓉手を簡略化したような中国陶磁器の影響を感じる文様で、中心に書いてあるのは花でしょうか。初期伊万里らしいおおらかな絵付けです。
焼継ぎは明治時代には廃れてしまうので、江戸期頃に直されたものかと思います。

豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年 - 1598年)をきっかけに、多くの朝鮮人の陶工が日本に渡りました。
その中の一人である李参平が有田の泉山で陶石を見つけて伊万里焼を焼き始め、そこから日本の磁器の歴史が始まったと言われています。
伊万里焼が焼き始められた1610年代から、1630年代頃までに作られたものを、初期伊万里と呼びます。

日本で最初の磁器としてまだ技術的には未熟で、素焼きをしない「生掛け」と呼ばれる製法で、おおらかな絵付け、厚い器胎、やや青味がかった釉、細かい貫入、釉に残った指の跡、砂目積みで作られた高台の砂の跡、小さな高台(三分の一高台)などが特徴とされています。

焼継ぎ(ガラス継ぎ)の技法で直されていますが、
焼継ぎは、江戸時代中期の終わり頃から広まった割れた陶磁器の修復技法で、白玉粉と呼ばれる鉛ガラスを火鉢で溶かして器をくっつけます。
焼継ぎは色も目立たず、値も安く、直す時間もかからなかっため全国に広がりました。

江戸では焼継ぎをする焼継ぎ屋が、よく行商をしていたそうです。
江戸後期に入ってからは、焼継ぎ屋が流行って新しい焼き物が売れずに瀬戸物屋が困ったというようなことがあったようです。
明治になると陶磁器の値段が安くなって直しをしなくなり、焼継ぎの技法も廃れて、今ではその技法は正確に再現できないそうです。

高台の横に文字が書いてありますが、修理した焼継ぎ屋のサインだと言われています。

Φ132 x H36 mm(計測は誤差がある場合があります。)

上記の通りバラバラに割れて焼継で直されており、直されていない欠けもあります。
焼継ぎはしっかり接着されているので、強度的には多少のことで外れたりはしないはずです。
状態の詳細は写真をご確認ください。
カテゴリー:
商品の状態:
全体的に状態が悪い
製作地域:
日本