20,000円以上送料無料(1ショップごと)
#薬堂

三面大黒天 版木

35,000 税込
三面大黒天の護符の版木です。
三面はそれぞれ、毘沙門天、大黒天、弁才天で、三天のご利益があると言われています。
三面のうち二面がヒゲをたくわえているので、残りの一面が弁才天でしょうか。
俵は2つ、左手に打ち出の小槌を持ち、右手にかついだ七宝袋袋にはたくさんの如意宝珠が描かれています、
出羽三山の羽黒山などの三面大黒天の護符とおなじような姿です。
虫食いはありますが、版木としての印刷面は問題なくほとんど残っています。
サイズは約20cmx15cm

大黒天が日本に来たのは、平安時代の初期に最澄が比叡山に祀ったのが始まりと言われていますが、
三面の神様もいるインドの神様の面影を強く残した三面六臂(顔が3つ、腕が6本)の姿で、今の一般的な大黒天より三面の大黒の方が先であるということになります。

大黒天はもともとは、インドのシヴァ神の夜の姿とされる、マハーカーラでした。(マハーは大きい/偉大な、カーラは黒/時間/死という意味)
中国の唐時代の「慧琳音義」では、
大黒天は、梵語で摩訶迦羅(マカカラ)。
大神力があり、寿命は無限、ハ臂で身体は青黒雲色。
二手で横に1本の三叉戟を握り、右の第二手は餓鬼の頭の髻をとる。右の第三手は白い髑髏のついた杖(カトヴァーンガ)を持つ。後ろの二手は各肩の上に1つの白い象の皮を張っている。
毒蛇で髑髏を貫き瓔珞(首飾り)をしている。とされていました。
今の大黒天とはまったく似ていない、恐ろしい顔立ちの戦闘神でした。
平安時代の終わり頃には大黒天と大国主命が結びつき、厳しい忿怒相もだんだん笑顔になって、俵に乗り槌と袋を持つ姿に変わっていって室町時代には完全に今の形になっていたようです。

三面大黒天が多く祀られているのは天台宗や日蓮宗で、日蓮には三面大黒天のことを書いた文書も残されているようです。
他に三面大黒天を信仰したことで有名なのは豊臣秀吉、加藤清正、徳川秀忠など。
秀吉は大黒天の信仰に関して、普通の大黒天像を拾った時に、大黒は千人を救う力があるというが、たった千人とは縁起が悪いと言って真っ二つに切ったという話や、
三面大黒天を拝むと、毘沙門天、大黒天、弁才天の三天を拝むことになるので気に入っていたという話が残っています。
カテゴリー:
商品の状態:
やや傷や汚れあり
製作地域:
日本
発送までの日数:
7日以内
薬堂
日本の江戸から昭和初期にかけての、陶磁器、ガラス、薬のパッケージなどを中心に出品しています。
東京/有楽町の大江戸骨董市にもほぼ毎回出店しています。
古物商許可証:東京都公安委員会 第305492117689号